「その時歴史が動いた」20021211NHK


大石内蔵助と主税親子の苦悩と葛藤、に焦点を当てた番組ということですが、天下のNHKさんが「忠臣蔵」と「赤穂事件」をどう扱うのかと興味深く見せていただきました。
赤穂「義士」ではなく「浪士」といっているところ、松の廊下の刃傷についても俗説や推論を述べず、浅野が吉良に切りかかったという事実のみなのも好感が持てました。
よく言われる(実際は見当違い)喧嘩両成敗などという意見は、赤穂の遺臣どもの言葉としてのみでしたし。

ただ、肝心の大石父子については、かなり想像でものをいっている気が。
言い伝えや、こうだったんじゃないか、という想像だけであれだけ美化するのはどうも・・・。

突然用事が出来てしまって最後の辺りが見られなかったので、人に聞いたところによると、
イギリス大使館の方が主税が15歳でこのようなことをしたのは凄いなんて仰っていたそうですけど、現代にも沢山ありますよね、十代半ばでの人殺し。褒められることではない気がします。私などは、その十五歳を含む殺人軍団に殺された中に十五歳の茶坊主がいたことの方によっぽど心が動かされます。上杉家に残る文書には、布団をかぶって震えている少年を浪士がやりで突き殺したとあるそうですが、想像するだけで辛いです。でも茶坊主2人のうち一人は小玄関、一人は厩前で死んでいたらしいので、事実は違うかもしれませんが。

それにしても、忠臣蔵好きな皆様のうちのどれだけが、殺された人々について知っているのでしょう?
数年前万昌院功運寺に墓参りに行った際、たまたま「忠臣蔵の悪役」の墓を見物に来ていたらしい女性二人連れが、「吉良邸討死忠臣墓誌」に刻まれた死亡者の年齢を見て「えっ、15歳?」と絶句していたのをいまでも鮮明に思い出します。












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