赤穂事件における「喧嘩両成敗」とは


年末になると新聞などでも「忠臣蔵」や赤穂事件について取り上げられる事が多くなりますが、その中によく出てくる単語「喧嘩両成敗」
刃傷の原因はともかくとして、喧嘩両成敗という不文律に反し浅野内匠頭一人が切腹させられたのは不公平だ、という論調なのですが。・・・なにか誤解されているのではないでしょうか。
一般的に考えてみても、特にその場で口論があったわけでもなく突然誰かに背後から切りかかって、切りかかられた相手はただひたすら逃げ惑うだけ・・・という状況を、普通「喧嘩」と言いますか? 「暴行」でしょう。
しかも浅野が切腹させられた理由は「喧嘩」したからではなく、殿中で刀を抜いたから、です。殿中で刀を抜けば、理由の如何を問わず切腹・・・というのは有名な話だと思っていましたが、そうでもないのですかね?
だから、浅野一人が切腹で吉良上野介にお咎め無し、は当時の常識から見て当たり前のことだったはずです。
現に、同時代の人の日記「元禄御畳奉行の日記」にもはっきりと、大石内蔵助(?)が「内匠喧嘩の埒ならば尤も相手をも無事に置くまじけれ共 只殿中狼藉の趣に而 切腹なれば 誰に恨みを述べん」と言ったと書かれていますよね。
これが当然の認識なのです。
「喧嘩両成敗」などと当たり前のように言う人たちはこういう資料を読んでいないのか、それとも赤穂浪士を美化する上で不都合な資料は見ないふりなのか・・・。












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